1967年生れ 魚座 B型 ♂
語れる言語: |
日本語 オランダ語
イタリア語 英語 |
趣味: |
万年筆 書道 (腱鞘炎癖があるので手に負担のかからない万年筆を使い始めたらハマり、字が下手なのを克服しようとして書道を始めたらハマった) |
愛車: |
紅いマニュアルのスバルR2 |
尊敬する人: |
日蓮(理由:闘うロックな男だったから) |
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経歴
造形作家伊藤隆康の長男として鎌倉に生まれる。幼少時からピアノを学んだが、ピアノでバッハを弾くことに耐えられずチェンバロに転向。
麻布高校卒業後、1986年オランダに留学。師匠はグスタフ・レオンハルト。さらに、ヴィーラント・クイケンにヴィオラ・ダ・ガンバを学び、1990年2月、アムステルダムのコンセルトヘボウでリサイタルを開く。
……せっかく留学までして勉強した音楽だったが、一生かけてやるものではないかも知れないと思い当たる。とくに古楽はレパートリーが限られるわりにはやる人が多く、職業としては魅力がなかった。
そこで始めたのが写真の仕事。オランダで短期間、とある写真家に師事したあと1991年に帰国し、写真館でバイトをしながら、作品創りと舞台写真に取り組む。太陽の写真を望遠レンズで撮り、1992年に個展を開いたり、劇団「榴華殿」の専属カメラマンになったり(1992年〜1997年)、福島泰樹とか友川かずきなどアンダーグラウンドなミュージシャンや、万有引力・月蝕歌劇団のような寺山系劇団を撮りつつ、また時には芸能人の舞台を撮ったりしながら地味に暮らしていたが、1993年ムーンビームへの参加をきっかけに音楽に戻る。と言っても、クラシックではなく世俗音楽。次第にロックに興味を持ち始め、やがてピンクフロイドにハマり、ビョークに浸り、今ではマリリン・マンソンをこよなく愛する。自分のバンド「無限空間」を結成してライヴ活動しながら(1994年〜1995年)、劇団「榴華殿」でも劇伴音楽を担当(1994年〜1997年)するようになり、CM音楽なども依頼されるようになるが、ふとしたきっかけで音楽家の耳でオーディオを評論することを依頼され、オーディオ雑誌に執筆を始める。2000年には劇場公開映画「火星のわが家」の音楽も担当、そしてなぜか出演もする。バンド活動は「BUR-BUR」への参加(1998年〜2000年)を最後に撤退。
その後、音楽からは離れて文筆の路へ。雑誌の仕事やBK1でのコラム執筆やインタビュー記事執筆に燃える。インタビューで語り合った相手は忌野清志郎、雨宮処凛、Akira、元XのTaiji、Malice
MizerのMana、デーブ・スペクターなど。オーディオ評論も続けていたが、次第に関心が薄れ、メーカーべったりの業界の体質にも違和感を覚え、母親の看病を機に引退。以後、小説執筆に入る。
音楽:
伊藤竜太作曲「サーカス」(歌:伊藤厚子)Water
Moon Records WMRM-0012
映画「火星のわが家」(大嶋拓監督/鈴木重子主演)IMAGICA / 越前屋電視社 - ASIN: B00005I1W2
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